○カプルン
11月のオーストリア・カプルン遠征合宿
夏の間に十分なトレーニングと貯えのできた私は、親からの援助もなしに全日本のナショナルチームの合宿に自費参加で合流できた。
全日本の合宿には、各合宿ごとに参加者のランクがあり、指定強化選手は全額全日本スキー連盟が負担してくれる基準が決められていて、
ユニフォームから合宿費用から日当まで出る A強化選手、一部を自己負担する B指定選手、完全に自費参加の対象選手に分けられている。
参加するだけなら誰でも出来るが、その中でもランクがきっちり分けられているので、ライバルたちの争いは熾烈である。
毎年この時期にスキーが出来ることは日本ではないので、どうしてもヨーロッパに場所を移し強化合宿と足慣らしをすることになるのだ。
3年連続の同じ場所での遠征合宿である。
3年前は高校生で、そのころ Jr強化代表選手に選ばれ全額支給されていたが、体育大学の学生になり、
年齢も二十歳前後になると全国から強豪選手が首都東京に集まってくるので、東京の代表選手の座から次々に落ちてしまったのだ。
昨年の青森国体「津軽国体での入賞が一回」その前の「関東ブロックの大会でも4位入賞」といい成績がなかなか残せず、
年間ポイントも低かったため、 A 指定強化選手から外され B指定選手になってしまったのだ。
高校生の時代は各地方の大会で、高校生同士がしのぎを削っているのだが、
大学になると東京にある学校にスポーツ推薦と言う形で進学してくる学生が多く、
各地の選抜選手たちが過密都市東京に集合するようになるとライバルが増えて途端に落ちてしまうのだ。
スキーの世界もご多分に漏れず、全日本の強化選手といわれる他のスポーツ選手たち同様にみんな東京に集まってくるのである。
またその後の就職も、スポーツメーカーや販売会社の本社は東京にあるため、入社してもそのまま東京の予選会に出場することになるのだ。
だから東京の予選を通過すると言う事は、全国大会にすぐ出られる実力と言ってもいいくらいの実力者ばかりなのである。
高校生のころは東京の大会で予選から勝ち残って強化選手になることは、簡単に達成できるし、とにかく参加する選手の人数が
少なかったからだ。
また東京は雪が降らず、スキーをするだけでも交通費や宿泊の費用がかかり親の負担は雪国の想像をはるかに超える金額が必要となるで、
費用の問題でも時間の問題でもスキーをしている高校生は非常に少ない、東京の高校代表は少ない選手の中で行なわれるのでライバルが
少ないのだ。
年齢を重ねてゆく毎に強豪に押しのけられて落ちてゆき、今年は何が何でも代表選手に残りたいと言うことと、
来年に迫った冬季オリンピック・レイクプラシッド大会の枠に残りたい一心で、今回の合宿に対する意気込みも強くなっていたのだ。
昨年のヨーロッパ遠征の負担金は半額だったとはいえ、オーストリアまでの交通費往復30万以上の用意が必要だったし、
交通費以外に現地でのリフト・ケーブルカー代などやはり余分に費用が必要となるのだ。
一昨年、昨年と今回で3回目だが、今までは参加費用を親に出してもらったり、やりくりしたりでやっとの思いをして支払い、
ようやく参加できたのである。
そのときの気分は本当に惨めだった。
更に惨めになる要素としては当時、体力や気力はあるのだが、現地での食費やケーブルカー代リフト代などを捻出するのに、
ぎりぎりまでアルバイトをして、くたくたの身体での参加だったため、カプルンについてからは疲労困憊で、スキー操作もままならず、
本当に何しに来たのかわからない状態での合宿だったのである。
そして今回は完全な自費負担参加で、50万円を用意した。
それもこの夏の体力のつく仕事で、難なくクリアー出来たのだ。
万全の状態で準備をし、更に費用を捻出できたのだ。
更に昨年の時差ぼけの失態を繰り返さないため、対策はばっちり研究してきたのである。
体調を現地での時間にするために、日本を出発する時間までは、
前の日から何が何でも横にならず寝ないのだ。途中の車の中でも何とかがんばって起きている。
なぜこんなことをするかと言うと、何度も往復しているうちに西へ行くときにはなかなか時差ぼけが直らず、
せっかくの現地でのトレーニング期間中、からだがふわふわしている状態になってしまう。
そんな状態だと、何しにきたのかわからない状態のまま2・3日が過ぎてしまうので、どうやったら初日から合宿を有意義に
消化できるか考えたのだ。
今回の合宿に対する意気込みは、こんなところにも現れてきていて、時差ぼけで寝ぼけている時間が大変もったいなく感じられるので、
時差ぼけを作らないために前日不眠の荒行を行なうのだ。
そして機上の人となるや否や、途中の機内食もまったく手をつけずに、ひたすら睡眠をむさぼるのだ。
「後 20分ほどで、ウイーンに到着する。」 と言うアナウンスがあるまで、途中 1回トイレに立ち上がって隣の選手の上を飛び越え用を足した位で、
約 8時間の睡眠を取った。疲労は取れ久しぶりにぐっすり休んだのだ。
映画には目もくれずにアイマスクを付け8時間を眠りどうしで過ごしてきたし、トイレの後も知らぬ間に眠っていたようだ。
眠っている間も食事の時間には多少いい匂いが漂ったのは知っているが、あえて食べる必要もなく、
寝ていたほうがいいと思ったので、アイマスクを取らずにリクライニングしていたのだ。
だから、到着のアナウンスと同時に目を覚ましたときには、目の前の折りたたみテーブルに4つのタグがぶら下がっていたのだ。
先ず成田をたった1時間あとに夕食のサービスがある。
その後3時間もすると朝食だ。
また2時間すると昼食のクッキーなどが出たらしい。
到着 1時間前にはドイツのジャガイモをピザにしたようなケーキが用意されていたようだ。
多くの世界戦に出場している選手は西に移動するときは、前日に無理して起きている方法を取るか、大酒を浴びる様にして機内で、
眠ってしまうのだ。
大酒を浴びるほど飲むと、トイレの問題があるし、気圧の低い飛行機の中だと、酔って頭痛が考えられる。
日本人は、ハワイに行くときは東へ移動するため時差ぼけは少なくてすむようだが、ハワイから帰ってきたときは、帰ってきてから3日くらい、
眠気が直らないということが多くあると聞いている。まさしくこのとおりの事を身体が欲求しているのだ。
今回実践して本当に良くわかった。
オーストリーの首都ウイーン。
空から見ると、屋根の高さが同じ町並みが見え出した。
その中に一つだけ大きな建物がぽつぽつと見える。
飛行場から都心までは約 10キロ位あるのだろうか、緑の地平線が遠くから迫ってきた。
町の上に差し掛かると大きな農場のような場所がいくつも見えてきた。
羊か牛がいるのだろう。
白い動物が点のように見えてきた。
その回りにマッチ箱のような町並みが緑の草原に囲まれてまあるい輪郭をかたどって見えている。
中心から大きな円のように広がっていて、地面に打ち上げ花火を散らばしているような感じがする。
整頓された古い町が見えてきた。
「ガー」 「ゴー」 「クー」 と段々エンジンの音が小さくなってゆき、何も聞こえない瞬間があった。
エンジンが止まったのではないかと怖くなってきた瞬間に「ゴン ガン ガタン」と地面に降りた感触を肘掛から感じ取った。
減速のための逆噴射が飛行機全体を震わせて、 「ゴー」 窓から見える景色がゆっくりになって来ると、下を動き回っている車が見えてきた。
ほとんどがルノーやベンツのエンブレムをつけているのだ。
やっとヨーロッパに着たんだなーと言う気持ちになってきた。
青と赤のランプを屋根につけたポルシェが飛行機をコントロールタワー下まで誘導するため誘導路に待機しているのが見えた。
誘導する時間も非常に快適な景色だ。
ここからまた選手の幅広い方が触れるような小さな飛行機に乗り換えて
ヨーロッパの山並みを越えてゆく
機体に輝く光を照らすようなつやつやのプロペラだ。
ビジネスクラスにはオレンジジュースが出るが
後ろのほうに座っている選手たちには
ペットボトルが配られただけだった。
ザルツブルグの飛行場はターミナルは3階建ての小さなこじんまりしたもので
反対側には屏風のような山並みが広がっている。
プロペラ機だったのでふわっと浮かび
着陸にはこつんという感じだった。
先ほどまでの大きなジェット機と違ってあまりショックを感じなかった。
空港の中には規則正しい並び方をしたバス、荷物を運びだすコンテナーがきちっと並んでいるのだ。
「さすが規律正しいゲルマンの民族だ。」こんなところにも気を使っているのかと言うようなところにまで、整頓された規則性が見えてきた。
入国のイミグレーションを通過して空港ロビーに移動するとガイド件通訳の日本人女性が待機していた。
広々としたロビーはもちろんドイツ語のアナウンスが聞こえていたが、フランス語・英語と3ヶ国語で同じ事をアナウンスしている。
「こんにちは! お疲れ様でした。飛行機の乗り心地はいかがでしたか」 綺麗な高い透き通る声で、われわれを迎えてくれた。
「これから 10日間は皆さんのお世話をします京子といいます。
よろしくお願いします。
これからバスに移動しますので、荷物はご自分で確認してから積み込むようにお願いします。」
後から解ったことだがこの京子さんは日本を代表する生田目鉄幹という方の孫娘で
フランス語の勉強に来ているということで後に大変お世話になることになるのだ。
全員がスキーを2セットから3セット持ってきているし、スキーブーツやウエアーを積み込んだトランクは2つ持ってきているのだ。
重量的にも相当な重さになっているだろう。
よくもこんなに運んできたなーと言う感じで、ドライバーが黙々とバスの下の大きなトランクルームに積み込んでいた。
「代表者の方 こちらに来てください」 と京子さんが監督を呼んでいた。
「積み込みが終わった方から奥から順に詰めて2座席使って結構ですので、楽にしてお待ちください。」 てきぱきと作業を進めてゆく。
冬になる前は風が強く、北周りで移動すると、山岳部を超えてゆく時に、ぎしぎしとゆれがひどく、エアーポケットに入るとガクンと上下するので、
寝ていても揺り起こされてしまうのだが。今回はまったく静かな飛行だった。
しかし海外遠征に慣れていない選手は飛行機の中では興奮していたのだろう。
なかなか休むことが出来ずに到着してから眠気が襲ってきているようだ。
私の周りの選手は眠そうな目を擦って、荷物を持つ手も緩みがちだ。
バスに乗ってくると早々に横になって寝ているようだった。
ザルツブルグからカプルンまで、バスで2時間。
日本でいうと長野から新潟くらいに位置するだろう。
いったんザルツブルグの都心近くまで走り、首都で高速を乗り換え一路ピレネーのアルプス山脈まで、ノンストップだ。
飛行機の中で、じっくり寝ていたので、気分は爽快である。
始めは都会的なビルが立ち並ぶ町並みを見ながらの移動だったが、 1時間もすると絵葉書のようなぶどう畑を縫う山岳の裾野の道を
移動するようになってきた。
山並みをバスの窓から見ながら、快適なドライブを堪能していた。
何時の間にか高速道路から降りたのだろう、まったくつぎはぎのない路面なので、気がつかなかった。
また今回乗っているバスは日本では珍しいベンツの観光バスで、ゆれが少なく快適だし窓が大きく取ってあって、
客席の窓が天井部にまで開放されていて明るいのだ。
さらに道路も整備されていることや繋ぎ目が綺麗なことも影響するのだろうが、エンジンのうるささも聞こえないのだ。
座席もわれわれ日本人の体型にはゆったり座れる幅があり、膝の前の靴脱ぎ部分も大きな荷物をおいてもまだ余裕があるほどだ。
選手・コーチの 10人と現地ガイドの日本人、いかにも大きな熊を連想させるドイツ人ドライバー。
広すぎる空間の移動である。
また山間部に入っても道路の舗装状況は非常に良く出来ていて、日本のつぎはぎだらけでがたごと波打っている狭い舗装路とはまったく
違うのだ。
やっつけ仕事を繰り返している道路は、長い使用時間を考えられない、
その場その場の対処しか考えない日本人特有の人生を垣間見るようで、歴史の違いを道路一つとっても感じてしまう。
水はけが良く、道の脇には必ず何がしかの花が群生していて、まったくごみが見えないのだ。
凍結に強い舗装なのだろう。
ひび割れやつぎはぎがまったくない。
だからタイヤがごつごつとたたきつけるような音もしないのだ。
アスファルトは一度ひび割れると、その部分に水が入り、その水が凍ると堆積を増すので、ヒビわれを更に大きくする悪循環になってしまう。
そしてこの道は、オーストリーの大都市ザルツブルグとイタリアのピレネーを結ぶ幹線道路で、
有事の際には戦車が通過してもびくともしない作りになっていると言う話をガイドが小さな声で監督と話していた。
カプルンの村は西を見上げるとアルプスの山並みが綺麗に見えていて、冷たい風にもさわやかな高原の気候を感じ取れる場所である。
村の中に入ってゆくと、赤い屋根が標高1500メートルの村に点在し、
まるでアルプスの少女ハイジに出てくる風景そのままの緑と赤い屋根とその奥にそびえるアルプスの山々、
何時来ても、まったく変わらない風景で迎えてくれるのが安心させてくれるのだ。
ここからはオーストリアのチロル地方だ。
この地方は天候が安定していて、気温も低く雪質もよいので、日本以外のスキーチームのキャンプもこの時期から盛況になるのだ。
選手の参加が7名で、男子4名女子3名、全日本監督の小林康安氏、技術部長の本間 尚氏など、総勢10名になる。
ここで陸上トレーニングを開始する。
小さなペンションの前にバスが止まり、ガイドの京子さんがペンションの中に走ってゆく。
大柄なドライバー左側のドアを開けたままにして降りてゆく、ゆっくり自動でドアが閉まりだしてゆくのだ。
人間の力でドアを閉めようとするとバタンと言うショックが伝わるが、
ベンツのバスは閉まるドアのショックさえ油圧でコントロールするように出来ているのだと感心していた。
半そでの二の腕がきらきら光って、体毛まで金髪のドライバーは、われわれのスキーの板をバスの腹の中から、下ろし始めていた。
今はまだ秋だといっても気温は5から6度位だろう寒さで眠気も覚める風が吹いている。
全員に部屋のかぎが渡され、 1時間後に走るために集合するようにと監督から言われた。
到着日からのランニング、世界を舞台にする日程表は過酷だ。
部屋は全部で20室、各選手に 1部屋ずつ与えられた。
ダイニングは入り口から一番奥に見える窓の大きな場所にあり、その窓からはアルプスの山並みが一望できるのだ。
まさにパノラマのような風景である。
常にコーヒーポットにヒーターが入り、そのそばには半分に減ったコニャックの壜が置いてある。
コーヒーにコニャックを入れて飲むのがこのペンションのやり方らしい。
合宿日程は、1日おきの競技会と練習滑走。
陸上トレーニングとスキー浸けの2週間である。
カプルンのペンションからキッシュタインホルンスキー場まではバスで移動し、山ろくからケーブルカーに乗り変え、
約20分、長いトンネルの中を通って山の反対側のスキー場に出る。
真っ暗闇の中から、急に雪の銀世界で、ほとんど見たこともないような見え方がして、急に目の前の世界が広がる。
真っ暗なトンネルを約20分で通過するので、目が慣れてくると急に山頂の銀世界が広がるのだ。
幻惑されているのと、急な登りを一気に通過するので、幻聴とが一緒になって、
行った人しかわからない感じがして、体が空中に放り出されるような錯覚にとらわれる。
4日目に事故は起きた。
様々な国の選手がコースを分けて練習滑走をしていたが、リフトに乗るときに挨拶を交わすようになってくるとどこの国から来たか
少しずつ話ようになって来た。
特に仲良くなっていたのはフランスチームの選手だ。
マナーも良くエッジングの強い選手が多く世界の強豪と言われているだけあって、スキー技術も突出しているのだ。
同じく遠征に来ていたユーゴスラビアの選手とフリー滑走中に衝突した。
われわれの使用許可を得ているコースはリフトから離れていてあまり他の国の選手と交差しない場所なのだが、
その安全な場所にも突如として危険が迷い込んできた。
大きなスキー場で空いているのに全く信じられない。
ユーゴスラビアの選手がコースを横切って移動しようとしていたのだ。
ルールもマナーもあったものじゃない。
われわれのコースの真ん中を突っ切るように移動している選手たち、
こちらは練習に集中しており、高速でターンしているので、視界が狭くなっている。
更に悪いことにはユーゴの選手は互いにしゃべりながら滑っていたので、こちらの練習にまったく気がついておらず、減速せずに衝突してしまった。
衝突した瞬間に意識を失う。
あまりスピードが出ていなかったにしても硬い雪質の斜面にたたきつけられたのだから、ひとたまりもない。
記憶がとぎれとぎれになっている。
スノーモービルの音がして、何人かで、身体を縛り付けられスノーボートの中へ縛られた。
その後覆いが掛けられたので、何が起こっているのかわからなくなった。
バタバタという大きな音で、カバーにザーッと雪のつぶてがかかったような音がした。
そのときにちょっと覆いが捲られて何か話し掛けられたが聞き取れなかった。
がたがたと体がゆれたのを最後にまったく記憶が途切れてしまったのだ。
多分眠っていたのだろう、次に起きたとき、真っ白な部屋の中だった。
ベッドから起きあがろうとすると膝に激痛が走る。
ザルツブルグの病院だった。
スキーの怪我はしょっちゅう扱っているようなので、安心していたが、記憶が途中までなかったので、どんな状態になっていたのか、心配になった。
ドイツ語はまったく分からなかったが、偶然来ていたアメリカのインターン Drの執刀を受け、そのインターンの英語で大体のことは理解できたのだ。
膝の負傷、内側靱帯断裂。緊急手術。
固定。
ここの病院の治療は世界でも有数の医療技術をもっているので、安心するようにと通訳謙ツアーコーディネーターの京子さんが話してくれた。
リハビリの状況を見て、執刀したアメリカ人の Drは是非カリフォルニアでリハビリをしないかという誘いを受けたが、
まだ状況が把握できないので、これからの連絡を待って判断しようと返事をした。
何でそんな誘いをしたかというと、執刀した Drが手術後回復を研究したいと言うことだったが、
モルモットのようになってしまった患者の気持ちと費用のことは本当に心配だった。
その後、親切にリハビリの日程を話してくれたのだが、一度で聞き取れなかったので、メモを置いて出て行った。
現地のツアーガイドは「今回のスキーキャンプは保険に加入しているから心配要らないということで安心して治療に専念してください。」
と言い残して病室を出て行った。
日本チームのツアー日程が終了してから判断すると言うことで、とにかくこの病院で、リハビリを続けることにした。
翌日から気の遠くなる、痛みとの戦いになるのだということを覚悟して、壁に掛かっているスキーウエアーを見ていた。
そのスキーウエアーも膝から下の部分が縦に切り裂かれ無残な姿をさらしていた。
捨てられたと思っていたが、ナショナルチームのイニシャルが入っているので、病院の担当看護婦も捨てられなかったのだろう。
そのユニフォームを見ながらうとうとし始めた。