○カリフォルニア大学ロサンゼルス校
カプルンでリハビリが始まりました。痛いし皮膚が引きつる状態が顔の表情まで変えてしまうほどで、
痛みに耐え切れず早く出てゆきたい気持ちになっていた。
4日ほどたった頃だろうか、このまま滞在してもしょうがないということで、カプルンからザルツブルグへ
移動しプチホテルで荷物を整理し、帰国の途についた。
ウイーンの空港まで列車で移動し、来たときとまったく違って見える景色を
目で追いながらMEDISIN roomと書かれていた特別室のような個室にいた。
その後、イミグレーションを通過し免税品のショップの前にホイルチェアで移動していた。
きれいなコップを見つけたのでスイスフランを使っていた時代だったので使いきろうと思い、
チョコレートやスボルクスキーのクリスタルなどを購入し機内持ち込みのザックにつめた。
スキーの板やトランクは別便で自宅宛に発送していたのでかなり身軽だった。
日本と違い、ショッピングしていても、お店の人はとても親切にしてくれたし会計をするために並んでいても
優先的に譲ってくれたのが今でも記憶に残っている。
その後ウイーンの空港から自宅に連絡し、多分夜中だったのかもしれないが母親が電話口で心配した様子で
成田に迎えに行くからということを告げていた。
時間通りにつけば日本時間の夕方5時頃に到着するといって電話を切った。
搭乗口には大きなカードを持ったグランドパーサーが私の名前を待っていて、一般搭乗前にシートに誘導してくれた。
後は日本につくまでじっとしていればいい。
成田について、入国手続きをして自動ドアを開けて出迎えロビーに出てみると父親と母親が並んで立っていた。
グランドスチュワーデスの案内で借りた車椅子から父親の車の助手席にに乗り換えると母が運転席の後ろに乗り込んできた。
曲がったまま固定された右足を見て「どうだ痛むのか?」と父が「いや、長い間座ったままだったからむくんでいるみたいだ」
「心配したんだから」と母「いや、ごめんさい。ちょっと今回はまいったよ」「少し休んでから考えなさい」と父「うん」約2時間父の
運転で自宅まで戻ってゆきました。
自宅に着くと様々な手紙とともに、英文のひときわサイズ違いの封書が届いていた。
中を開けてみると、アメリカにいる友人とその教師からの手紙だった。
もし君に移動する力と気力があればリハビリをカリフォルニアでやらないかということだった。
施設もしっかりしているし、環境的には問題ない、ビザも今の段階なら学生の就業ビザが出るだろう。
このビザは H1 B1 B2というように分かれていてH1はメジャーの選手が外国人枠を取得するためにチームが保証人になって
許可を出すビザで、私には関係のないビザですが、B1というビザは特殊な資格や特殊技能を持った技術者という範囲です。
B2というビザは米国に貢献する可能性のスポーツ選手や学生や医師、看護士、マイナーリーグなど期限を区切って
許可を出し、その後の貢献や実績によって期間延長を可能にするというものです。
この項目ではB2にあたるというのです。
そこでその友人に(現在日通のカリフォルニア支店勤務)したがってB2の申請をすることにしたのです。
スキーでは優秀といえる成績ではなかったのですが、名簿に私の名前が残っていたので貢献度のある学生という項目で
2年間のビザが許可されました。
そして、少し歩けるようになった状態で渡米しました。
日通勤務の友人のアパートに居候し、1に4時間のリハビリとトレーニングに通いだしました。
はじめはタクシーを使っていましたが、友人が安い車を見つけてきてくれたので日本円で50000円くらいだったと思います。
そしてその車を持って自分の運転で警察署に行き、ドライバーライセンスの試験を受けに行きました。
友人の住所を書きいれ、ホテルい以外の住所ではないと不可というもので自分の車で受験をするということも驚きでしたが
まず警察の中で筆記試験、標識を知っているかどうかというような問題です。
それが受かると、お前の車に行こうといって(レンタカーでも)助手席に乗り込み「ムーブ!」そして警察の周りを15分くらい
右!左!といわれるままにはしり終えると警察前に止めて!とサインしろ!これで終わり!
写真をとれ!
以上バイバイ!
と言って次のドライバーに車に乗っていました。
ウーム 簡単!
翌日からその車が私の足になりリハビリや買い物そして日通の友人に紹介された日本食レストランで食器洗いのバイトを
するようになりアメリカホンダのエンジン設計の方々と仲良くしてもらえるようになり夜のお店に連れて行ってもらったり、
ディスコダンスクラブにつれ回されたりちょっと楽しい思い出が増えました。
そして、遊んでいたり食器洗いばかりではなく、勉強しなきゃと言うことでザルツブルぐでお世話になったパラメディックの資格は
どうやるのか探していました。
EMP救急法と言う緊急蘇生法の講習がUCLAで短期講習会であると知り、講習会申し込みなかなか入ることが難しい講習会ですが
何とか秋のコースに入ることが出来ました。
このコースはAT アスレチックトレーナーには必要な応急処置や心臓マッサージ・スポーツ選手のための救急法が講習内容です。
応急処置はなかなか医療用語が飲み込めず緊急の場合の自分を守る方法なども習慣化されていなかったため
何度も NG の連発
さらに小児救急法や血液感染についての講義とレポートが本当に大変でした。
出血した場合の対応方法、骨折や脱臼についての対処方法を現場のスポーツ大会に帯同して実施しました。
カリフォルニアに限らず全米ではこの資格を持っていないとスポーツ現場ではまったく役に立たないとを言われ続け必死に覚えてゆきました。
現在ではEMPという名称が変わり MFAInternationalのインストラクターとして一般の方からスポーツ選手の対応
飛行機の中で働く方々の特殊な条件での救急法を指導しています。